2012.06.27 Wednesday
“GWのシンデレラ“新潟弾丸トラベラー!2012” vol13. にっぽんいちの手堀隋道
vol12. やまこしの春
日本一長い手堀りトンネル中山隧道を知ってるかぃ? って、
連れて行ってもらうまで知りませんでした (^0^;)。。
私の中でビリビリスイッチの入る隋道3本指に入りました新潟県山古志にある中山隧道!
といってもビリビリスイッチ隋道はまだ2つしかなかったんですけどねw
ひとつは津久見の深江隋道。
もうひとつは庄内の龍原隋道。
私のビリビリ感は芸術感とか雰囲気感とかひんやり感とか。
中山隧道は日本一の手堀り875mとあってそのどの感の持続効果も長いわけなんですが、、
ちょっと入り口であっちまで歩いてみようか考え中。。
なにしろ・・真っ暗なんですもの(;▽;)。。
電気のスイッチありました。。
つけてみたけどどこに電気がついたのかよくわかりませんww
しかも、、もし、、こちら山古志側から入ってぬけてる途中に反対側にほかにだれか出た人がいて消灯されちゃったりしたらちびりますよ。
ところがすでに懐中電灯を持ち歩いているタップンちゃん(爆)
はい行くます。入ります。抜けます。 みんなと一緒なら
山古志(長岡市)側から広神村(魚沼市)側へ。。。
この隧道は山古志村の人々にとって悲願のトンネルでした。
しかも、平成10年まで現役で使われていた立派な国道です!
昭和8年にツルハシで掘り始めて16年!
途中は戦争で5年間掘れない時期もありました。
貫通直後の有志の皆さんの写真。。
この隧道が貫通するまでは本当の山越えをしなければ病院のある町までいけず、
妊婦さんや病人を背負って中山峠という険しい峠越えを余儀なくされていました。
もちろん・・雪山を越えられず命を落とした方々も。。
そこで村人たちは立ち上がった!
ならば掘ろう!と、、つるはしで。。
この物語は「掘るまいか」という映画化にもなっています。
詳しいサイトがたくさんあるので読んでいると涙がでちゃうよ。
16年で掘りぬいたわけですが、真冬の仕事のできない時期だけみんなで交代制で、
いつになったら堀り終えるのか、自分たちの代でだめならそのうち子の世代、孫の世代まで堀りつづければいいじゃないか!
というなんとも前向きで、村の生活のユニークでおおらかな人々の様子も浮かびあがって、
近くて時間が許せば通いつめちゃいそうな魅力的な山古志です。
平成10年には隣に新しいトンネルができました。
でもなにより、、、つい、、
ついこのあいだまで国道として使われていた、、しかも中越地震も無事だった汗と涙のこの隧道。
くぐってみようじゃないか!
この足と目に!焼き付けろ!
・・・ 暗いです・・・・しかもクマが、、、
と、冬眠してたらどうしよう! いや、、この隧道の中にいたら・・・
そんなちょっと乙な隋道に恐れ多くもこの方をいざないます。
別にいざなわなくていいですか・・・・そうですか(;▽;)
この霧の出ているこんな日が最適です。
タイチョに見守られながら侵入だ!
あ゛ぁ゛〜・・・もうこんなです。。
フラッシュをたいた一瞬だけ全貌が。
つるはしの跡がしっかり。
右ききの人、左ききの人。せーので掘ったそうです。
なにしろまっすぐではないので先が見えません。。
やっと遠くに電球がwww
これ消されたりしたら大狂乱。。
ここには離合場所がひとつありました。
当時、蚕とお米、炭で生きていた山越の人々が仕事で使っていたトロッコで土砂を運びだしていたとのことでした。
当時の雰囲気のまま置かれていました。
だんだん慣れてきたぞ。
Daiさんを撮った写真に、、気のせいか、、、
一緒にこれなかったチャー・・・
いや、 気のせいだ。
ふと!上を見上げるとこうもり発見!
みんなでギャーギャー言ってますけど、、
寝たふりしとるで。
てか、、、、私この写真、、直視できません(T▽T)
そしてついに!
貫通したこの場所。
手記には「貫通したとたんに呼吸が楽になりました。」と書いてありました。
16年という歳月。
あちら側の声が聞こえだし、穴が開き、お互いの姿が見えた瞬間の
人々の歓喜の声が聞こえてきそうだ。
「俺たちの!俺たちの隋道だ!」
掘っているうちに大量に水が出た地点が2箇所あるようです。
決して芸術を追いもとめて掘ったわけではない血と汗が生み出した美しいかたち。
私、ここに来れてよかった。
案内してくれたリョウさんタップンちゃんありがとう・・・
人間って不思議。
ゴール目前の雰囲気なったとたんに、
なぜか全員Bダッシュww
無事に魚沼側にでたけれど、車まで、、
またもどりますか?
いや・・・もうおなかいっぱいです
消灯しようとしたら、隋道奥から人の声がしたので消すのはやめましたw
消してたら、、、
こちら側はさらに雪がたくさん。
米どころ魚沼だ!
魚沼だ!
それではおとなしく新しい中山トンネルでもどります。
このトンネルができて、観光バスが来るようになって最初びっくりしたそうだ。
ほんの・・・12年前のできごとです。
記念にレコードを出してみました。
CDじゃなくってよ
少し霧がはれて入り口が見えました。
今では大きなトンネルがあるけれど、先人たちの掘った隋道は、
いつまでも大事にされて語り継がれてゆくことでしょう。
「掘るまいか」映画か見たいけどレンタルみつからない。。
奥深き山古志。
また絶対訪れて、そのときはたっぷり過ごしたい場所。
さて、おなかがグウグウ鳴ってるヨ!
“GWのシンデレラ“新潟弾丸トラベラー!2012” vol14. 霧桜
日本一長い手堀りトンネル中山隧道を知ってるかぃ? って、
連れて行ってもらうまで知りませんでした (^0^;)。。
私の中でビリビリスイッチの入る隋道3本指に入りました新潟県山古志にある中山隧道!
といってもビリビリスイッチ隋道はまだ2つしかなかったんですけどねw
ひとつは津久見の深江隋道。
もうひとつは庄内の龍原隋道。
私のビリビリ感は芸術感とか雰囲気感とかひんやり感とか。
中山隧道は日本一の手堀り875mとあってそのどの感の持続効果も長いわけなんですが、、
ちょっと入り口であっちまで歩いてみようか考え中。。
なにしろ・・真っ暗なんですもの(;▽;)。。
電気のスイッチありました。。
つけてみたけどどこに電気がついたのかよくわかりませんww
しかも、、もし、、こちら山古志側から入ってぬけてる途中に反対側にほかにだれか出た人がいて消灯されちゃったりしたらちびりますよ。
ところがすでに懐中電灯を持ち歩いているタップンちゃん(爆)
はい行くます。入ります。抜けます。 みんなと一緒なら
山古志(長岡市)側から広神村(魚沼市)側へ。。。
この隧道は山古志村の人々にとって悲願のトンネルでした。
しかも、平成10年まで現役で使われていた立派な国道です!
昭和8年にツルハシで掘り始めて16年!
途中は戦争で5年間掘れない時期もありました。
貫通直後の有志の皆さんの写真。。
この隧道が貫通するまでは本当の山越えをしなければ病院のある町までいけず、
妊婦さんや病人を背負って中山峠という険しい峠越えを余儀なくされていました。
もちろん・・雪山を越えられず命を落とした方々も。。
そこで村人たちは立ち上がった!
ならば掘ろう!と、、つるはしで。。
この物語は「掘るまいか」という映画化にもなっています。
詳しいサイトがたくさんあるので読んでいると涙がでちゃうよ。
16年で掘りぬいたわけですが、真冬の仕事のできない時期だけみんなで交代制で、
いつになったら堀り終えるのか、自分たちの代でだめならそのうち子の世代、孫の世代まで堀りつづければいいじゃないか!
というなんとも前向きで、村の生活のユニークでおおらかな人々の様子も浮かびあがって、
近くて時間が許せば通いつめちゃいそうな魅力的な山古志です。
平成10年には隣に新しいトンネルができました。
でもなにより、、、つい、、
ついこのあいだまで国道として使われていた、、しかも中越地震も無事だった汗と涙のこの隧道。
くぐってみようじゃないか!
この足と目に!焼き付けろ!
・・・ 暗いです・・・・しかもクマが、、、
と、冬眠してたらどうしよう! いや、、この隧道の中にいたら・・・
そんなちょっと乙な隋道に恐れ多くもこの方をいざないます。
別にいざなわなくていいですか・・・・そうですか(;▽;)
この霧の出ているこんな日が最適です。
タイチョに見守られながら侵入だ!
あ゛ぁ゛〜・・・もうこんなです。。
フラッシュをたいた一瞬だけ全貌が。
つるはしの跡がしっかり。
右ききの人、左ききの人。せーので掘ったそうです。
なにしろまっすぐではないので先が見えません。。
やっと遠くに電球がwww
これ消されたりしたら大狂乱。。
ここには離合場所がひとつありました。
当時、蚕とお米、炭で生きていた山越の人々が仕事で使っていたトロッコで土砂を運びだしていたとのことでした。
当時の雰囲気のまま置かれていました。
だんだん慣れてきたぞ。
Daiさんを撮った写真に、、気のせいか、、、
一緒にこれなかったチャー・・・
いや、 気のせいだ。
ふと!上を見上げるとこうもり発見!
みんなでギャーギャー言ってますけど、、
寝たふりしとるで。
てか、、、、私この写真、、直視できません(T▽T)
そしてついに!
貫通したこの場所。
手記には「貫通したとたんに呼吸が楽になりました。」と書いてありました。
16年という歳月。
あちら側の声が聞こえだし、穴が開き、お互いの姿が見えた瞬間の
人々の歓喜の声が聞こえてきそうだ。
「俺たちの!俺たちの隋道だ!」
掘っているうちに大量に水が出た地点が2箇所あるようです。
決して芸術を追いもとめて掘ったわけではない血と汗が生み出した美しいかたち。
私、ここに来れてよかった。
案内してくれたリョウさんタップンちゃんありがとう・・・
人間って不思議。
ゴール目前の雰囲気なったとたんに、
なぜか全員Bダッシュww
無事に魚沼側にでたけれど、車まで、、
またもどりますか?
いや・・・もうおなかいっぱいです
消灯しようとしたら、隋道奥から人の声がしたので消すのはやめましたw
消してたら、、、
こちら側はさらに雪がたくさん。
米どころ魚沼だ!
魚沼だ!
それではおとなしく新しい中山トンネルでもどります。
このトンネルができて、観光バスが来るようになって最初びっくりしたそうだ。
ほんの・・・12年前のできごとです。
記念にレコードを出してみました。
CDじゃなくってよ
少し霧がはれて入り口が見えました。
今では大きなトンネルがあるけれど、先人たちの掘った隋道は、
いつまでも大事にされて語り継がれてゆくことでしょう。
「掘るまいか」映画か見たいけどレンタルみつからない。。
奥深き山古志。
また絶対訪れて、そのときはたっぷり過ごしたい場所。
さて、おなかがグウグウ鳴ってるヨ!
“GWのシンデレラ“新潟弾丸トラベラー!2012” vol14. 霧桜