2012.07.31 Tuesday
四万十の川のぼり 一本橋こーちょこちょ
四万十の川のぼり
いっぽんばーしーこーちょこちょ♪
たたいてーつーねって♪
階段のぼって ギャーーーーーーーーーーー !
って遊び懐かしいねっ 知らない!? ?
さて(・0・) 四万十川を源流にむかってのぼってきました。
そして私たちの探しているのは、沈下橋の原型といわれる早瀬の丸太でできた一本橋を捜索しています。
そしてとんちゃんが寄ろうと言った源流点の道布施ヶ坂で地元の方に詳しく場所を聞くことができました!
ヨサクをすすめー!
439号。通称ヨサクは、起点・徳島県徳島市から終点・高知県四万十市へ342.4kmの四国縦断国道!
私たちは終点から入ったようですが、一本橋現るの前に、
大わらじww 通称金剛バッコww
なんか、、見た目中途半端だし、、腐って落ちたのかなーと思いきや、
このわらじ、あえて半分しか作らないのだそーだ。
悪病神に、「どんだけでっかい大男がいるかわからんぞー!この金剛バッコもどんだけでっかく作るかわからんぞー!」って、おどしの意味なんだって
1月に無病息災を願ってつくります。
っと、さらに439をぐんぐん進みつつ右側を眺めると、
糸のような橋が見えたー!
この橋が、、、 沈下橋の原型(;▽;)!!!
丸太を縦割りにして、3つつないでますよ。
これは、、新たに旅のお供となった南瓜です。
おっこちたら水浴びしちゃえばいいや! と、早速渡ってみたけどやっぱグラグラしとるでぇ・・
清流で癒されまくり、
はて、この橋、どーやって役目をはたしているのか。
よく見ると、橋が一本の杉につながれているんだよ。
この杉は、「橋守杉」 しかも2代目と書いてるが、
この杉につながれているのにはわけがある。
この沈下橋は、増水するとわざとこの橋をはずして川の流れにまかせて泳がせて、
増水が止まったら、いったん引き上げて上流に運び、上流から流れにまかせてこの橋をまた
設置というしくみなんだって!
明治時代に作られたらしく、朽ちるたびにつくりなおすのだそう。
この場所は、原風景。
いつまでもいつまでもこのままで。
さあ! 一本橋隊が通るよーーーーー!
撮ってる私が願うはただひとつ。
落ちればいいのに(;▽;)
大人はこんな場所にくると、童心にかえることができるのです。
かなりの時間一本橋であそぶ。
ふと、対岸にはそんな様子をみつめる人影が(笑)
ここで長男からメールが。
「おかーさんいまどこーーーーー」
とり天「いま四国で日本一古い沈下橋探索しよるよー!1935年の一斗表橋ってとこもみつけたし、沈下橋の原型とかいう橋にもきたー!
今夜、帰りまつww」
するとさらに長男から、
「日本一古い沈下橋は、大分にあるんだけど」
え゛、、、?
なんですと?
大分が日本一ですとー!
ってことで、早速行ってきた(;▽;)・・・
そう! この橋が正真正銘日本で最古の沈下橋!
大分では沈み橋という。
この橋、、1912年にできたんですってよー(T▽T)
し、しかも、杵築市の山香の八坂川にかかる・・・
ツーリングでミカン城から国東方面にいくときにゴイゴイ走る広域農道沿いに、、
ずっとありましたー(;▽;)
四国から帰って早速寄ってみましたのですけど、、
ここでさらに情報が、、
実はこの橋のもう少し下流に、さらに古い1876年(明治9年)に架けられた永世橋が日本最古の沈下橋だという!
しかしこの永世橋は2004年の台風21号で流出しちゃって、、
今はあとかたもありません。
あ゛、、話がいきなり四国から大分に飛びましたが、
四国ツーのクライマックスにつづきます。
いっぽんばーしーこーちょこちょ♪
たたいてーつーねって♪
階段のぼって ギャーーーーーーーーーーー !
って遊び懐かしいねっ 知らない!? ?
さて(・0・) 四万十川を源流にむかってのぼってきました。
そして私たちの探しているのは、沈下橋の原型といわれる早瀬の丸太でできた一本橋を捜索しています。
そしてとんちゃんが寄ろうと言った源流点の道布施ヶ坂で地元の方に詳しく場所を聞くことができました!
ヨサクをすすめー!
439号。通称ヨサクは、起点・徳島県徳島市から終点・高知県四万十市へ342.4kmの四国縦断国道!
私たちは終点から入ったようですが、一本橋現るの前に、
大わらじww 通称金剛バッコww
なんか、、見た目中途半端だし、、腐って落ちたのかなーと思いきや、
このわらじ、あえて半分しか作らないのだそーだ。
悪病神に、「どんだけでっかい大男がいるかわからんぞー!この金剛バッコもどんだけでっかく作るかわからんぞー!」って、おどしの意味なんだって
1月に無病息災を願ってつくります。
っと、さらに439をぐんぐん進みつつ右側を眺めると、
糸のような橋が見えたー!
この橋が、、、 沈下橋の原型(;▽;)!!!
丸太を縦割りにして、3つつないでますよ。
これは、、新たに旅のお供となった南瓜です。
おっこちたら水浴びしちゃえばいいや! と、早速渡ってみたけどやっぱグラグラしとるでぇ・・
清流で癒されまくり、
はて、この橋、どーやって役目をはたしているのか。
よく見ると、橋が一本の杉につながれているんだよ。
この杉は、「橋守杉」 しかも2代目と書いてるが、
この杉につながれているのにはわけがある。
この沈下橋は、増水するとわざとこの橋をはずして川の流れにまかせて泳がせて、
増水が止まったら、いったん引き上げて上流に運び、上流から流れにまかせてこの橋をまた
設置というしくみなんだって!
明治時代に作られたらしく、朽ちるたびにつくりなおすのだそう。
この場所は、原風景。
いつまでもいつまでもこのままで。
さあ! 一本橋隊が通るよーーーーー!
撮ってる私が願うはただひとつ。
落ちればいいのに(;▽;)
大人はこんな場所にくると、童心にかえることができるのです。
かなりの時間一本橋であそぶ。
ふと、対岸にはそんな様子をみつめる人影が(笑)
ここで長男からメールが。
「おかーさんいまどこーーーーー」
とり天「いま四国で日本一古い沈下橋探索しよるよー!1935年の一斗表橋ってとこもみつけたし、沈下橋の原型とかいう橋にもきたー!
今夜、帰りまつww」
するとさらに長男から、
「日本一古い沈下橋は、大分にあるんだけど」
え゛、、、?
なんですと?
大分が日本一ですとー!
ってことで、早速行ってきた(;▽;)・・・
そう! この橋が正真正銘日本で最古の沈下橋!
大分では沈み橋という。
この橋、、1912年にできたんですってよー(T▽T)
し、しかも、杵築市の山香の八坂川にかかる・・・
ツーリングでミカン城から国東方面にいくときにゴイゴイ走る広域農道沿いに、、
ずっとありましたー(;▽;)
四国から帰って早速寄ってみましたのですけど、、
ここでさらに情報が、、
実はこの橋のもう少し下流に、さらに古い1876年(明治9年)に架けられた永世橋が日本最古の沈下橋だという!
しかしこの永世橋は2004年の台風21号で流出しちゃって、、
今はあとかたもありません。
あ゛、、話がいきなり四国から大分に飛びましたが、
四国ツーのクライマックスにつづきます。